作編曲者のためになるか判らない
尺八 高座

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シリーズ41

無香性から激臭を放ってみる


えー、

いつぞやは

「Youtubeの動画と、
ここに書く内容は
違うものにする」

などと
無茶を
言っておりましたが、

やはり、

異なる内容を書くには

ネタが無さ過ぎるっ!



と、言うワケで、

今後パターンに拘らずに
やっていきたいなと。

それもこれも

「多様性」

ということで…

なはは…



それにしても、
後半の

「激臭部」

ここは体力は確かに使いますが、
気はあまり使いません。

比べて前半の
無臭の部分は
かなり気を使う演奏となります。

と、言うのも
前半は

「音楽の基本」

だけが演奏の要素になるからなんです。

音楽を演るにあたって
一番基本となる部分だけを
演奏しているから、
誤魔化しが出来ないんです。

それに比べ
後半の演奏は、

ノイズィ なのは当たり前!
ピッチ狂 おうが、
音が かすれたりひっくり返 ろうが、
リズムが狂 おうが、

多少のことは、

「尺八的免罪符」
が有る事にして演ってます

こういうトコロに、
尺八の
本質的に持っている
音楽基本本流との乖離性

あるのかなぁ…と。

だから、

塩梅が肝心

なんですよね。

でも、
たとえ、何を演っても

「尺八は尺八」
であって、
それでも全然音楽だよね。

…と感じるのは
KEIZANだけじゃないと信じたいなと。

あ、

ちゃんと、
別テーマになってるじゃん…

(2013.03.08)
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